|
【一品・逸品MENU】
|
| 益子焼の歴史 |
| 堀越美紀さんの長皿 |
| 三宅洋司さんの湯呑 |
| ぐい呑・盃三種 |
| 松崎 健さんの湯呑 |
| 榎田勝彦さんの傘立て |
| はにわ |
| NAMEプレート |
| やなぎゆきおさんの陶器 |
| 藤原郁三さんの陶板 |
| 薄田浩司さんのぐい呑 |
| 佐久間藤也さんの片口 |
| 佐久間藤也さんの香炉 |
| 堀越美紀さんの陶額 |
| 信田良枝さんの陶兎 |
|
益子焼の歴史
|
|
| BC2500〜 | ![]() 縄文式土器から山居台、境、本沼、聖ヶ丘遺跡などから、 石器などと共に出土.。 {写真:縄文土器(東台遺跡出土)} |
| BC300〜 |
弥生式土器が山居台、聖ヶ丘、向北原遺跡などから出土。 {写真:弥生式土器(車堂遺跡出土) } ![]() |
| AD300〜 |
![]() 土師器が東台遺跡などから出土。 8〜9世紀古墳時代後期頃、脇屋、滝ノ入、倉見沢、原東窯跡などから 須恵器と瓦が出土し、ろくろと窯が使われ始めた。{写真:土師器(向北原遺跡出土)} |
| 嘉永 6年 (1853) |
大塚啓三郎、益子焼の製造を始める。 称平徳利が作られる。 |
| 安政 4年 (1857) |
黒羽藩、6窯元に窯業奨励覚書を交付。 {写真:盛皿(白掛呉須絵)}松竹梅柄 ![]() |
| 明治 2年 (1869) |
黒羽藩「瀬戸焼仕法」を交付し、保護管理する。 |
| 明治 6年 (1873) |
![]() {写真:油徳利(呉須絵草文)} 栃木県となり、益子は民窯として再出発。 このころ益子焼が東京方面に出荷されるようになる。 |
| 明治21年 (1888) |
益子に陶器会社ができる。この頃汽車土瓶が出回る。 (汽車土瓶:今でいう「お茶パック」のようなもので、 胴には駅名や弁当販売店名が記されている。 旅行者は中の茶葉を取り替えながら使用したらしい。 ) ![]() |
| 明治36年 (1903) |
益子陶器業組合が結成され、益子陶器伝習所が根古屋に設立される |
| 大正 2年 (1913) |
益子伝習所を町立に移管 |
| 大正13年 (1924) |
濱田庄司氏が益子に移住 |
| 昭和 5年 (1930) |
益子陶器伝習所を町立陶器試験場と改名 |
| 昭和13年 (1938) |
皆川マス女史、世界工芸展覧会でヒットラー賞受賞 |
| 昭和14年 (1939) |
町立陶器試験場が栃木県窯業指導所となる |
| 昭和22年 (1947) |
天皇陛下(昭和天皇)、益子に行幸 |
| 昭和24年 (1949) |
濱田庄司氏、栃木県文化功労章受章 |
| 昭和26年 (1951) |
栃木県陶磁器陶土工業組合を結成、翌年栃木県陶磁器協同組合と改称 |
| 昭和28年 (1953) |
皆川マス女史、栃木県文化功労章受章 濱田庄司氏、芸術奨励文部大臣賞受賞 |
| 昭和30年 (1955) |
濱田庄司氏、重要無形文化財保持者として認定 |
| 昭和31年 (1956) |
この頃から、釜っこが出荷されるようになる |
| 昭和34年 (1959) |
佐久間藤太郎氏、栃木県文化功労章受章 |
| 昭和42年 (1967) |
加守田章二氏、高村光太郎賞受賞 |
| 昭和43年 (1968) |
濱田庄司氏、文化勲章受章 |
| 昭和44年 (1969) |
濱田庄司氏、益子名誉町民となる |
| 昭和51年 (1976) |
陶芸の森(現:益子の森)オープン |
| 昭和52年 (1977) |
濱田庄司氏、益子参考館を開館 |
| 昭和53年 (1978) |
濱田庄司氏死去(83歳) |
| 昭和54年 (1979) |
伝統工芸品に指定される。(窯元247軒) |
| 昭和55年 (1980) |
島岡達三氏、栃木県文化功労章受章 |
| 昭和57年 (1982) |
町ぐるみの陶器市が開催 |
| 昭和60年 (1985) |
村田元氏、栃木県文化功労章受章 |
| 平成元年 (1989) |
栃木県陶磁器協同組合を、益子焼協同組合と改称 |
| 平成 5年 (1993) |
陶芸メッセ・益子オープン |
| 平成 8年 (1996) |
島岡達三氏、重要無形文化財保持者として認定 |
|
(資料協力:陶芸メッセ・益子)
掲載の写真の実物は陶芸メッセ・益子(陶芸館)でご覧になれます。 |
|